日々の生活が送れているのはそれを支える人々がいるから
どうも、ややんねです。
最近1人旅しただの、一人で生きて行くだのいろいろ聞きます。
私はそんなこと出来るのは仙人だけだと思っています。
なぜ人はそんな勘違いをしてしまうのでしょうか。
人に支えられている感覚の欠如
私は生きていくのに人に頼っています。
この舗装された道路、公共交通機関、給与をくれる会社、精神的な支えとなってくれる家族…
挙げ続けるとキリがありません。
一人で生きていくといっている人は
山でも切り開いて農業でもしているのでしょうか。
タンパク源となる肉の摂取はどうしているのでしょうか。
私には想像もつきません。
一人で生きていくとなるといくつもの障害があります。
未開の地がない
ここまで進歩した街で人の介在しない場所にいられることの方が難しいです。
まずはこのブログを読む機器、それを支える通信網…
その知恵も含まれると私は考えます。
釣竿や魚の捌き方、毒の無いキノコ
その知識は人が人のために作り出した知恵です。
それらを1つずつ取り除かなければ真の一人で生きていくことにはなりません。
屁理屈でしょうか。
1人の力でお金を稼ぐことだって結局は他人の介在です。
お金が使えること自体が他人の介在です。
一人で生きていくって何なんでしょうか。
私は1人では生きていけません。
家族がいて、仲間がいて、上司部下もいましょう。
電車には運転手さんがいて、お店には店員さんがいて、この道路を整備してくれるスタッフがいて…生活インフラが使えることもそうです。
真の孤独であるがために境地へ辿り着かんとする心意気がないのであれば
一人で生きていくなどとは口が裂けても言えないなぁと思った次第です。
一人で生きていないからあなたが居るのです。
世界にあなたの代わりになる人はいないのです。
縄文時代から続いた歴史なのです。
おわり